皆さんこんにちはりょーぱかです。夏と言えば、白い砂浜に青い海!ビキニ!BBQ!!・・・いや、もうひとつあります。かっきーん。・・・・そう、甲子園。青春やわぁ。今年の夏も多くのドラマが繰り広げられていますね。高校球児だった私としてはどうしても感情移入してしまいます。と同時にちょっと苦い思い出も。
華々しく活躍している球児たち。でもその影にはさらにたくさんの球児達がいるのです。いろいろな思いを抱えながら一人ひとりにドラマがあるとです!そんなこの季節。今回はこのテーマで書きたいと思います。
1 「継続は力なり」ってホント?
継続は力なりということわざがありますが、これについては半分嘘だと私は思っています。学生時代の大半を野球と触れ合ってきた経験の中で得た気付きです。
文字通り、ただ継続するだけでは技術の上達には限度があるなぁと改めて感じています。当然かもしれませんが、「継続」とセットで「目標」がなにより大事です。
甲子園に出場する高校球児達の姿を見て感動するのは、甲子園に出て勝ちたいという真っすぐな目標と、それに向けてひたすらに突き進む姿に感情移入しやすいからだと思います。より強く、はっきりとこの目標を睨んで走ってきたチームがあの舞台で戦っており、観客はそれを敏感に感じるのです。
2 続ければ上達するとはかぎらない
甲子園の舞台で活躍している彼らの本当のスゴさは技術がどうこうではなく、「意味のある継続」を重ねてきたことにあると思います。甲子園という舞台で戦えるということはある意味その証明です。
何ごともただ続ければ上達するわけではないですからね。私自身が中学、高校と野球を続ける中で、いつしか「続けること」が目標となっていたふしがあり、結果、思考停止状態でもくもくと日々の練習を消化していたように思えるからです。糧とするのではなく単なる消化です。
なぜそう思うかというと、当時の私は野球自体が嫌いではないもののプロ野球中継もそんなに見ない、グローブやスパイクのメーカーにもこだわりがなく、もちろん、甲子園もがっつりみることはありません。極めつけは甲子園自体に行きたいという思いはほぼ皆無だったような・・・。
バリバリ野球をしていた当時にその状態なので、恐らく上達するために“考えること”がすっぽり抜け落ちていたように思います。あとは競争心かなぁ。俺の方が上手い(はず)!とか俺にもできる(はず)!とか。
結果として、中・高の夏の大会(最後の大会ですね)では補欠はおろかベンチにも入れませんでした💦
いや~さすがにショックでした。時すでにおそし。それでも野球を続けた理由は何だろう。またの機会に考えてみようと思います。
3 自発的な取り組みによる「継続」は上達に繋がる
少し話をもどして、なぜ“考えること”が抜け落ちたのか。私の場合は恐らく「野球」=「楽しむ」という感覚(感情)を養うことができなかったから。野球は小学校~大学と続けましたが、楽しいと感じたのは大学時代のみです。
やはりレギュラーとして野球ができた、というのが大きいと思います。ただ、大学では本格的な部というよりサークルに近いものがありました。硬式野球ですが初心者もいましたし、練習は週末のみ。走り込みも多少やりますが、追い込むような鍛錬は皆無でしたし。監督も基本は不在で、試合時も選手兼監督みたいな。でもみんなでワイワイやる試合は楽しかったですね。
大事なのはこの気持ちですね。楽しいともっとうまくなってホームラン打ちたいとか、かっこよく守備決めてやる、とか思うわけでして、みずから筋トレや体力強化、素振りなどにも積極的に取り組んでました。自然とそうなるんですよね。
こうなってくると、上手いやつが気になって研究とか始めちゃうのです。結果、シーズン通して打率3割くらいをキープする年もありました。その時思ったのが「なんだ、楽しいじゃん」。
この「楽しい」を早い段階で経験することが大事かもしれません。この感覚は何度も体験したくなるものです。
ちなみに中学時代は部員数も多く(総勢70名くらい)先輩後輩の上下関係も厳しかったし、監督も厳しかったですね。ボールじゃなくて手が飛んでくることも・・・。
先輩も無茶ぶりが多かったですね。意味もなく走らされるという罰ゲームもあったり。思い返せばほとんど恐怖と圧制のもと日々鍛錬をしていたような。軍隊みたい。そりゃ楽しくないわ・・。
高校では、意識の差が課題だったように思います。野球に対する熱意を養成中?だった私は、がっつり“上”を目指していた部員とは野球に対する思考も視点も違っていたのだと思います。
結果として、試合を楽しむどころか「試合が恐い」という意識さえ芽生えていました。上を目指す彼らにとっては、試合での失敗は自分事はもちろん、他人にも憤りを感じるものです。そんな中、試合に出場できたとしても楽しむどころか、失敗を恐れるように・・。まぁ、こんな感じだったので上達にも限りがあったみたい。
4 上達するかは始めたきっかけにも影響をうける?
あとは始めるきっかけも大事かと思います。私が野球を始めたのは小学校3年生。友人が入部していた地元の野球少年クラブを見に行き、「友人が入っていた」これだけでクラブへ参加しました。
これがまた結構スパルタなクラブで、活動している少年たちも意識が高かったと思います。そんな世界に何となくで入部した私は当然なじむことができず、数か月で撤退💦
その後、中学に進学。中学校ではなにかしら部活に入ることが義務付けられており、なぜか私は再び野球を選びました。小学校の時に途中で辞めたことに悔いが残っていたのだと思います。(変なところで意地っ張りな私)
こんな形でスタートした野球人生だったので、今思えば野球自体を楽しむというよりまずは「続ける」ことに意味を見出していたような気がします。確かに忍耐力と体力、多少の事では折れない心はものすごく養われました。野球の技術もあれだけ練習すれば嫌でも上達します。
でもそれを試合に生かすステップまではいけませんでした。つまり試合を楽しみたいからもっと頑張るという感覚があまりなく、この「楽しむ」をベースに芽生える競争心も足りていなかったのかと。
何か言い訳っぽくも聞こえるけど・・・💦思ったこと書きまーす。
5 最後に
私の野球人生は冴えないものでしたが、こうやって振り返ることでいまだに気付きがありますし、その経験を生かすこともできます。今回私が伝えたいのは、野球でもなんでも上手、下手はあります。ただ、何より楽しんでほしいなぁと。それがよい継続の形だと思います。
どうやって楽しむん?って課題は残りますが、仮に楽しむ方法がまったく思いつかなかったらやめるという決断も必要かも。時間は有限なので、無駄な継続にはご用心。
あとは「続けている(いた)こと」は定期的に思い返して、「気付きを得ること」も大事だと思います。誰しも挫折は「経験」すると思いますが、それを糧として蓄積するにはしっかりと受け止めて見つめ直す必要があると思います。成功体験も同じ。そのタイミングは人それぞれだと思いますが。
まだまだ私もこれからですが、真正面から受け止めて前に進みたいと思います。頑張れ世の球児達!!
「バッチこーい!!」
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